こんにちは。秋の行事やイベントもひと段落した頃でしょうか。外の世界は一層秋を深めていく時期ですね。先週の小学生クラスでは「夏の虫・秋の虫」の制作がようやく完成して各々持ち帰る事ができました。切り貼りの工作と構成はこのアトリエでもよく取り組む内容ですが、今回はフィンガーペイントで作った色紙を使ったことで面白い色合いの色紙がイメージを膨らませてくれる制作になったように思います。
中には標本に生き物の説明を添えたラベルをつけてくれた人達もいました。創作した生き物の住んでいる場所や食べ物、特徴なんかがまとめられていて。読んでみると「いる場所:夢の中 食べ物:星」またかわいい色合いの生き物なのに「食べ物:カマキリ 注意:とげに毒があります」など。さらにイメージが広がって、最後の鑑賞の時間は楽しい時間になりました。
鑑賞の時間 3つの大切な事
アトリエでは1つのテーマ制作が終わると鑑賞の時間を作るようにしています。自分の表現ができるようになる事と同じくらい、他の人の表現を受け入れられることはとても大切なことだと思うからです。他の人の作品を鑑賞することで気付く事ができる3つの大切な事があります。
1,新しい表現の発見をして次の制作の成長につながる。
2,自分との違う視点に気づく事ができる。
3,改めて自分の表現の個性や良さに気づく事ができる。
自分は精一杯制作したからそれで十分と思う人もいるかもしれませんが、他人の作った作品を鑑賞することは、自分の視野を広げて改めて自分の表現の価値に気付かせてくれるものです。
美術教育がある意味
芸術の価値観には1つの正解といものがありません。新しい価値観を提案できることに芸術がある意味があると思っています。正解や答えのない教科、美術や図画工作が学校教育の教科にあることは絶対に必要なことだと思ったりします。昨今の争いばかりのニュースを見ていて時々、美術教育のある意味を考えています。
自分の価値観について思う時に、北海道で関道尚さんのソーシャルオイリュトミーの講座を受けた時のことを思い出します。導入であるワークに取り組みました。「みなさん、前のホワイトボードのところに来て、これから私のいう図形をよく聞いて書いてみてください。まず丸があって、その横に長い線がありますそれから・・・・」私は関先生の言葉をよく聞きながら図形を描いていきました。描くことは好きなのでだんだんと楽しくなってきて、きっと自分は正確に描けたぞ。満足気にそんなふうに思っていました。
「みなさん書けましたか。では数歩下がって他の人の図を見てみてください。」「さて大事な事を1つ伝えます。この問題に正解はありません。同じ事を見聞きしていてもこれだけの解釈があり、その1つ1つが本人にとっての正解です。」
正しくありたいという考えが人にはあるけれど
私はこの言葉を聞いてドキっとしました。人の捉え方や認識に違いがあることは理解しているつもりでした。それぞれの価値観を認めたい、そんなふうに思ってきたはずでした。しかし私は無意識に正解は1つだと思いこんで、自分のしている事が正しいかどうかかなり気にしていたんだなというのが私にとっての気付きでした。反対に不安な気持ちで図形を描いていて、他の人と違う図を描いていたら自分は間違っていたと思って描いたものを消してしまいたくなったかもしれません。
それぞれが自分にとって正しいと思う事をしているなら、それで良いはずなのに正解は1つだと思い込んで自分は正しい側にいたいと思い。もしも自分が間違っていたらという不安から誰かを批判すれば、あっという間に同じ考えの人が結託して少数派を責め立てるのかもしれません。
自分にとっての正解をじっくり追い求めた経験は1つの正解の中にたくさんの矛盾が含まれている事を教えてくれます。自分にとっての正解は自分にとって1番正しい事であるけれど、それと同じように誰かにとっての正解もその人にとって1番正しい事である事を全面的に認める事ができるのが芸術の価値観だと思います。このような視点に立てるならば人は正しいか間違っているか争う前に 相手には相手の正しさがあることに気づけるのではないかななんて思っています。

11月の予定
月曜クラス 6・13・20
火曜クラス 7・14・21
水曜クラス 8・15・22
12月の予定
月曜クラス4・11・18
火曜クラス5・12・19
水曜クラス6・13・20


