[いい絵を描くには、、と考えて]6月のアトリエ計画  

 こんにちは6月に入り、春運動会の学校もひと段落した頃でしょうか。アトリエでも小学生クラスでは「地球環境世界児童画展」の応募作品が無事完成し発送しました。応募作品は返却がされないので原寸大のカラーコピーを取ってあります。スケッチブックに張り込んで保管しますのでご家庭でも是非見てみてください。

 コンテストの応募となると良いものを作りたいと力が入りますができればリラックスして楽しんで描いて欲しいと思って声がけしていました。なぜなら評価されたい、入選したいという思いが強すぎると自分の絵が描けなくなってしまうからです。私自身、子どもの頃たまたま楽しく描いた絵が立派な賞をもらった事があって、その事はとても嬉しかったのですが、その後「また頑張ってね!」と励まされると自分の描きたい絵が賞が取れる絵なのか不安になり、しばらく賞を取った時と同じ様な絵しか描けなくなってしまった事がありました。そんな時は描いていても楽しくなかったし、思い切り描くこともできなかった様に思います。ただ楽しいから描いていたはずの絵を描くことの目的が、評価されるためという目的に変わってしまっていたのです。

 外側からの評価やどう見られるかという基準はあやふやで時代や環境や人物によって変化していくものです。そこに自分のやりたい事を擦り合わせ続ける事は辛いものです。しかし自分がどうしたいかや、自分がよくやったと思えるかどうかは常に自分自身の中にある揺るがない基準です。だから自分が満足できる絵を描く事。それが1番大事だと思います。

 以前に「上手な絵を描こうとするより、人の心を動かすいい絵が描けたらいい」といった事を書いたと思います。でもいい絵ってどうしたら描けるのでしょうか。いい絵だと思う絵ってどんなものでしょうか。それをこの1ヶ月応募作品に取り組む子供達の姿に寄り添いながら、ずっと考えていました。

 あくまでも私が悶々と考えていた事なのですが、いい絵ってその人が描く必然性がある絵だと思います。その人がその絵を描く理由がどこかにある絵、好きだからという単純な理由でもいいのですが、よく描くには描くものをよく知っている必要はありそうです。つまりその人の実際の経験や体験に基づいた事がその人の視点で絵になっているという事ではないでしょうか。

というと、子ども達に色々な経験を沢山させなければ。ということになりそうですが、どうも少し違う様に思います。いい絵を描くためには、その人、その子なりのものの見方や感じ方が表現につながる様な深い体験が必要なのだと思います。「深い体験」≠「たくさんの経験」です。

 では深い体験って何だろう。と考えて考えて、あ。と思い当たったのは「日常の中で何度も繰り返した事」というのが私の答えでした。なんだか振り出しに戻った様な気持ちです。でもこれは正しい様な気がしています。私が多摩美術大学の映像演劇学科で学んでいた時のことです。映像科なのでストーリー性のある作品が多く、何度もプレゼンテーションで作品の草案を学生同士で話し合うのですが、子どもの頃の何気ない原体験の様なものを大切に作品に昇華させている人がほとんどでした。「子どもの頃に使っていた毛布の感触」「お昼寝の時にブラインドから漏れる光の縞々をいつも見ていた事」「蚊や蟻を殺生した時の小さな罪悪感」「土を掘っていると湿ってくる事」「水族館で見た大きな生き物の怖さ」「いつも遊んでいた人形の気持ちのこと」みんな何気ないけれど何度も日々の中で繰り返した経験がその人独自の感性を作るんだなと思います。

 そうなると、子どものための深い体験とは大人が用意してあげられる特別な体験ではないのかもしれません。でもその子が「本当にすきだよねぇ。」という事、何気ないけれどいつも身近にある安心するパターン。いつもの生活のリズムの中で本当はやってあげた方が早いけれど何度も繰り返す事。そんな事を私たち大人は大切にしてあげなきゃなと思うのです。私にとっての原体験については、のちほど書き足していきます。

6月の予定

 月曜クラス 3・10・17

 火曜クラス 4・11・18

 水曜クラス 5・12・19

7月の予定 

月曜クラス1・8・15

火曜クラス2・9・16

水曜クラス3・10・17