制作を通して人間関係を学ぶとき

こどもアトリエsola

 

人が集まる場所では人間関係が生まれます。児童美術教室は表現の場であるからこそ時に本当の気持ちがあらわになる事もあります。みんなが安心して表現活動ができるように私たちは他人の作品や、やり方に批判はしないことをルールにしているけれど、何か問題が生じてしまった時お互いの気持ちを伝え合って乗り越えることができたら、後にそれは人を信じる力になってくれるのだと信じています。子どもがぶつかる問題は子どもの力で解決できる問題なのかも知れない。そう思う時があります。

制作をやり通すことで育つ力。子どもの育つ力を信じること。うまくいかない時こそ深く考え心を育む時なのかもしれません。

 

人間関係の学び

少し前のアトリエでも、人間関係の学びがありました。不本意ながらも傷つけてしまった仲間がいた事を知ってその日の制作をしながらもやもやと悩んでいた子たちと、教室の後に少し残って話し合いました。先生ちょっとこのままじゃ帰れない。話を聞いて!そう言って残ってくれた子達がいました。

子ども達の言葉

・傷つけるつもりが無くても傷つけてしまう事があるんだな。

・そんなこと考えもしなかった自分を思うと恥ずかしい。

・でも、相手の気持ちに気づけないかもしれないって思うと怖いな。

どうしたらいいんだろう。

・本音で話すのは危険かも。

・でもそれじゃ何を話したらいいの。

・本音じゃ無くても傷つけることもあるかもよ。

・後から気づくって辛いなあ。

・相手の気持ちは見えないもの。わからないじゃん。

・言ってくれたら気づけたのに。

・結局さ、思ったことをお互いが言えたらいいよね。

・ちょっとそれはひどいなあ。傷ついたよって。

・そしたらドキッとするけど、ごめん そんなつもりじゃなかったって言える。

・そういうの言える相手と言えない相手がいるよ。

・年齢だって違うし、怖いじゃん。

・どうしたらいいんだろう。どうしたらいいんだろう。

・だから相手が嫌かもしれないことは言っちゃだめなんだよ。

・相手の気持ちを考えないといけないんだな。思いやり?

・思いやりが大事とは思ってても わからないで傷つけちゃったらどうしたらいいの。

・でもわからないなら、正直な気持ちを伝えるしかない。

・間違ったらごめんって言えたらいいし

・自分も嫌だったらちゃんというとかさ。

・心の底にある本当の気持ちって悪くないんだよね

・そうそう 言ってることが本当じゃない事もある。

ああ難しいなあ。

心の底にある気持ち

結局明確な答えは出ませんでした。私も同じ目線で一緒に悩みながら、言葉を交わしながら大人でもぶつかる難しい問題だなあと思いました。思いやりを持ちましょう。といえばそれは正しいのでしょう。しかしそれで解決するほど人間関係は単純ではありません。その都度ぶつかって考えて学んで育てていくしかないように思います。大人も子どもも隔たりなく。

大人は話を聞きながらそれた話題を本線に戻してあげたり、うまく言葉にできない感情を言葉にするための手伝いをしてあげるだけで良いのかもしれません。誘導や話を切り上げるためにまとめたり、良い悪いを判断することは何か本当の気持ちを見えなくしてしまうような気がします。答えを出すことよりも深く考えることの方がずっと大事です。

答えのない問題に、正面からぶつかって胸を痛めて考える子ども達の姿を見守っていて胸が熱くなりました。

問題は起きないほうがいいけれど、起きてしまうこともある。だから、その時に問題にしっかり向き合って深く考える事ができること事態が価値のある体験であるように思いました。

答えが出なくてもやもやするけれど、このもやもやはずっと考え続けさせてくれる何かとても大切なもののような気がします。

答えは出なくても話すことで気持ちを軽くすることはできる。

ああまだもやもやするけど、少し楽になったみたい。先生また次のアトリエでね。

そう言って秋の暗くなった夕暮れに帰っていく後ろ姿を見送りながら、その子たちと初めて会った日のことを思い出して、ああみんな大きくなっていくなあ。と少し誇らしいような気持ちで見送りました。

自分の手から生まれる形を受け入れること

9月の粘土制作の見ていて、手に取る粘土の量や生まれてくる形が1人1人その子らしさがあって面白いなあと思ってみていました。できてくる形は、なんだかいつもその子が描いている絵にも似ています。作り方の説明はしますが作るものに正解はないのです。

自分の手から生まれてくる物をなんだか良いなと思える事はとても大切な事だし、なんだか気に入らないもっとこうしたかったな。と思うことは理想を描いて成長して行く事です。最も大切な事はその判断を自分でするという事だと思うのです。良いか悪いかどうしたいのか自分で決めていいのです。

手に取る粘土の量は自分の力で形にできる量 

さて粘土制作では粘土の量をこんな風に決めています。それは自分の手に丁度よく収まるくらい。

それが1つの基準です。それが扱いやすい量だからです。

ですが、この丁度よくというのにはそれぞれの捉え方があるようです。中にはもっと足しても良いかな。少し減らしたほうがいいかな。と思う場合もあるのですが「こちらへ来て足したり減らしたりしてもいいからね~。」とだけアナウンスして見守っていると不思議と子ども達は自分で決めた量の粘土を上手に操って使いこなしてしまいます。

そんな時私は「ああ口出ししなくて良かった。」と思います。それぞれ扱いたいテーマとその大きさを子ども達はちゃんとわかっている。そんな気がしています。

この顛末を見ている時、なぜだか子ども達の手の中にある粘土がそれぞれが成長の中でぶち当たる困難のように思えてくる時があるのです。目の前の粘土と格闘しながら、時に分けてもらったり多い分を誰かに委ねたりしながら子ども達の間を粘土が行ったり来たりしながら、最終的にはそれぞれの手の中で丁度よく収まり、何か新しいものが生まれている。

子どもの育つ力を信じる

そんな流れを眺めながらいつかテレビで見たりんごの木子どもクラブの柴田愛子先生の言葉を思い出します。「子どもの自ら育つ力を信じましょう。」「子ども達の間で喧嘩が始まると、お母さん方は慌てて止めに入ろうとします。そんな時 私が喧嘩はお嫌いですか?そう聞くとお母さん方は いいえそういうわけでは。と答えて下さる。じゃあね、ちょっとここでみてましょうか。って顛末を見守るんですね。泣いたり怒ったりしてお母さんの元に走ってくる子ども達を私は見ているんですね。」

子ども達の手の中にある粘土。大人から見るともう少し減らしたら、とかもう少し足してみたらと思えるかもしれないけれど、大人が割って入って粘土を足したり引いたりしてしまうと子ども達は自分の制作を全うすることが出来なくなってしまうかもしれません。

ヒヤヒヤして見守っていると子ども達はちゃんと落とし所を見つけて着地すべき所を見つけていくのです。それは良いものができる出来ないよりも児童美術においてずっと大切な事のように思います。

ぶつからない安心より、乗り越えたことの自信と信頼を

学校生活でも二学期に入ると、慣れてきた人間関係の中でぶつかり合えることも出てくるでしょう。見ている大人はハラハラしてなんとかしてやりたいと思うのですが、子ども達はちゃんと自分の力で乗り越えられるだけの問題に正面からぶつかって自分の力で乗り越えていくのかもしれません。そのことを通して傷ついたり悩んだりもするかもしれませんが、それはきっと人生を生き抜いていく大きな力となってくれるのではないかと思っています。

我が子が悩んでいる姿は居た堪れないものだけど、子どもの自ら育つ力を信じて 大人は子どもの苦労や辛さに寄り添い励まし労いながらも信じて待つことが必要なのかもしれません。